空海-WORLD.COM
空海(弘法大師)にまつわる様々な情報や芸術のポータルサイト
弘法大師を研究し40数年、この度、高野山開創1200年記念大法会に向けて「弘法大師空海遍照風景」
と題して日本画を表現させていただきました。これより毎月十数点をこのギャラリーにて紹介して参ります。
心海ギャラリー
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「屏風ヶ浦」
空海が生誕した地の付近で、瀬戸内海から見ると五つの岳がまるで屏風のごとくそそり立っているので「屏風ヶ浦」と呼ばれています。今も昔も変わらぬ風景と言えます。
「御厨洞入窟」
空海が一心不乱に虚空蔵菩薩の虚空蔵求聞持法を修した霊場で、明星が空海の口の中に入り込んだと言われています。
「空海坐像」
「稚児大師」
稚児大師立像は空海7歳の姿とされています。手に弥勒菩薩像によく見られる五重の塔を打ち、弥勒菩薩と同体と考えられています。6月14、15日に公開されます。
「九州五島列島」
空海、最澄らの遣唐使団は九州五島列島より唐に向かって出向しました。
「遣唐船」
空海、最澄らの乗った遣唐船は東シナ海で台風(嵐)に出会い難破寸前で九死に一生を得て唐(中国)に渡航できました。
「赤岸鎮」
空海の乗った遣唐船は何日も難破寸前状況で漂流し、ようやく中国の赤岸鎮に着きました。
「中国赤岸鎮(福州の路)」
空海一行は遣唐船で密教授法を求めて漂流し、最初に中国の赤岸鎮に流れ着きました。ここから福州に至る道に空海が漂流し滞在した聖なる地として「空海坊」と書かれた街門があります。
「中国金山寺慈寿寺塔」
金山寺は金山寺味噌で有名で近くに揚州に渡る船の発着所があり空海が立ち寄ったと言われています。詩文が現在も残っています。
「中国慈恩寺」
唐の長安(現在の西安)にあり、孫悟空で有名な三蔵法師が天竺(インド)より持ち帰った仏典など重要な仏典のほとんどが貯蔵されています。
「恵果阿闍梨空海への潅頂」
空海は日本の僧でありながら真言密教の第七祖恵果阿闍梨よりわずか数ヶ月で伝達潅頂を受け真言密教の第八祖となり、遍照金剛の名を与えられました。
「波切不動明王」
不動明王は空海の唐への渡航、帰航の海の安全をはかられたとされています。
「九州観世音寺」
空海は留学僧でありながら唐よりわずか2年で日本に帰ってきたため、都(京都)へ入ることを許されず、九州大宰府の観世音寺に留まり都へ入る許可を待ちました。
「京都神護寺山門」
都に入ることを許された空海は和気氏のはからいで神護寺に入り真言密教の布教をはじめました。
「第一番札所 霊山時」
815年、弘法大師空海が21日間加持祈祷を行い、四国八十八ケ所の霊場を開くことを祈願されました。そして本尊の釈迦如来を刻み、堂宇を建立し一番札所と定めました。大師堂の池の前には一体の愛らしい仏が遍路の無事を祈ってくれています。
「第十八番札所 恩山寺」
恩山寺は空海の母玉寄御前の伝説です。この寺は女人禁制であったため、空海は女人解禁の秘法を修し、母を迎え入れ、無事対面を果たしたと言われます。
入山した玉寄御前は剃髪し、今も納められています。地蔵堂の千体地蔵尊は玉寄御前をあやかり、子宝を授かりたいと多くの人が今も訪れています。
「第二十一番札所 太龍寺」
太龍寺は19歳の空海が、虚空蔵求聞持法を修した地で有名です。
空海自らの作、虚空蔵菩薩が本尊とされています。又、本堂御廟、御廟の橋大師堂拝殿は高野山奥の院と配置が同じで「西の高野」と呼ばれています。
「足摺岬は捕陀落(観音浄土)の東の入り口」
日本では紀州熊野の那智と土佐の足摺岬が捕仏落信仰の聖地とされています。小舟で南海に出て帰らぬ覚悟で行う「捕陀落渡海」の地です。この近くの第三十八番札所金剛福寺は捕陀落の東の入口として弘法大師空海が建立しました。
「神護寺での空海と最澄」
中最澄の唐で学んだ密教は密教の一部であったため最澄は空海を真言密教の師として学び灌頂を受けました。
「四国満濃池」
満濃池は平安当時よく決壊し多くの被災をもたらしていたため空海が不眠不休で真言密教の力を注ぎ、アーチ型の堤防を築きました。それから現在1200年経っても一度も決壊していません。
「東寺」
「東寺南大門、五重塔、掘割」東寺は王城鎮護のために羅城門をはさんで東西に建てられた官寺の一つでありました。東を東寺、西を西寺といい823年嵯峨天皇より東寺を空海に下賜されて密教専修の道場となりました。そして、空海は安置する仏像によって密教世界を創出しました。
「帝釈天半跏像」
梵天とともに仏法の守護神として基壇の西の隅に配置される。
獣座の白象の背に悠々と坐す。
「東寺講堂立体曼陀羅」
空海は弘仁14年(823年)嵯峨天皇より東寺を賜り密教を修める道場として講堂造営に着手しました。そして、中央に大日如来を中心とした五智如来、東に五大菩薩、西に五大明王、さらに周囲に梵天帝釈天、四天王を配置し合計21体の仏像を安置し、立体曼陀羅をつくりあげました。
「多聞天像」
四天王は如来達を仏ん敵から守る守護神で多聞天は北東に立ち仏が説法する道場を悪魔から守り、広く説法を聞かせようとする役目があると言われています。
「高野山の霧」
空海は嵯峨天皇から高野山での真言密教の根本道場を開くことを許され高野山を真言密教の聖地として創建しました。
「不動明王坐像」
鎌倉時代、高野山に入った行勝上人の念持仏で明王像は一般的には忿怒相であらわされますが、この像は人間的に温和な表情です。
「密教法具」
鈴は銅像の前で鳴らし、杵は護身の武器
「高野山奥の院」
弘法大師空海が即身成仏となり今も尚、悩める私達を見守り南無大師遍照金剛と名を呼べば、いつもそばに来て導いてくれると言われています。
「三密加持」
空海密教とは生まれながらすでに仏であるという教えです。
そして生きながら成熟した仏になるためには、仏の言葉(真言)をとなえ、手で印を結び仏の動作をまね瞑想し、心(意識)を仏の心に入れ、そして仏の心を自らの体に入れ仏になりきり生きながら仏になる即身成仏の方法それが三密加持。
「不動明王」
「熊野古道」
熊野路や 大和の民の 故郷か
「熊野山嶽修験者行」
熊野行 一歩一歩に 悟りあり
「牛馬童子」
中辺路、箸折峠近くにある、高さ50cm程度の小さな石像。文字通り、牛と馬の2頭の背中の上に跨った像です。
「発心門王子大鳥居」
発心門王子とは九十九王子のひとつで、また発心門とは聖域への入り口を意味しています。参拝の人々は大鳥居の前で祓いをして鳥居をくぐったと伝えられています。
「熊野本宮大社」
熊野三山の一つ。家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)を主祭神としており、昔は熊野坐大神(くまぬにますおおかみ)とも呼ばれていました。
「熊野本宮大社」
本宮や 熊野古道の 光かな
「熊野本宮大社」
本宮や 大和を守護し 数千年
「大斎原」
熊野本宮大社のもともとの境内があった場所です。この旧社地入り口には日本一の大鳥居があります。
「大斎原」
神域や 神秘の世界 身を伏せる
「大斎原」
大斎原 大和の民の 神宿る
「熊野川」
大峰山系の山上ヶ岳・稲村ヶ岳・大普賢岳の間の水源を発して北山川と合流して熊野灘に注ぐ、一級河川です。流域は奈良・和歌山・三重の三県にまたがっています。
「熊野速玉大社殿」
熊野三山の一つです。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神としています。
「熊野速玉大社御船祭」
熊野速玉大社の例大祭の一つです。神代の時代絵巻を今に伝えるもので、美しい神幸船を先導して9隻の早船競争が行われます。
「神倉神社」
熊野三山の一つである熊野速玉大社の摂社です。神域である神倉山は和歌山県指定文化財に指定されています。
「大門坂」
熊野那智大社への参道で、かつて坂の入り口に大門があり、通行税を徴収していたことが名称の由来とされています。
「熊野那智大社」
熊野三山の一つです。熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神としています。
「那智の滝」
聖水や 万物清める 那智の滝
「那智の滝」
「一の滝」ともいわれるこの滝は、落差133mの日本一の直瀑です。「日本の滝100選」のひとつ。「日本音風景百選」にも選定されています。
「那智の滝」
那智の滝 四季を通して 日本一
「那智四十八滝」
熊那智原始林にある60余に達する多くの滝のうち48の滝です
「見晴台」
那智山の頂上、那智山スカイラインの終点にあります。串本の大島や潮岬をはじめ熊野灘を一望できます。
「百間ぐら」
山深い紀伊半島の果てしない峰々を眺望できる名所です。
「円月島」
南紀白浜のシンボルで島の中央に円い海蝕洞が開いていることから「円月島」と呼ばれています。正式名称は高島です。
「稲積島」
稲の献上を命じられた住民が稲束をこの島に運んで献上したことから稲積島と呼ばれるようになったという伝説があります。
「古座の荒船海岸」
熊野灘沿いに奇岩怪石が3kmに渡ってダイナミックに続く海岸です。
「三十三観音石仏」
熊野路や じっと見守る 石仏たち
「獅子岩」
熊巨大な獅子が海に向かって咆哮するような姿をした高さ25mの岩で、国の天然記念物です。地盤の隆起と海風蝕により生み出された奇観です。
「花窟神社」
伊弊冊尊(いざなみのみこと)と軻遇突智尊(かぐつちのみこと)を祀り、今日に至るまで社殿はなく、熊野灘に面した巨岩が御神体であり、神倉神社とともに熊野における自然信仰の姿を今日に伝えています。
「丸山千枚田」
日本最大級の棚田で、日本の棚田百選のひとつです。山の斜面に石垣を築いて、段々に水田が作られています。
「丸山千枚田」
民の労 夕日に染まる 千枚田
「高野山夕ぐれ」
高野山は蓮の葉の形をしていると言われ夕ぐれの時は、夕陽に囲まれこの上なき美しさにつつまれます。
「高野山丹生都比売神社」
熊空海を高野山に導いたとされる丹生都比売が祀られており、全国にある丹生神社は百八十社余りを数え、その総本山になります。
「高野山金剛峯寺」
空海が「金剛峯楼閣一切揄伽揄祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう」というお経より名付けられたと伝えられています。
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